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「書評」じゃなくなった今の気持ち~糸井重里さんの「インターネット的」を読みました~

「泣く」という言葉をよく使う(っていると思う)本ブログ。
私が泣き虫なのは身近な人は誰でも知っている事実ではあるんですが
結婚式で号泣したり、卒園写真を見て鼻をすすっていたり
映画見ても音楽聴いてもすぐ泣いてしまう。
厳しい現実社会では「泣く=鬱ぎみ」
と判断する人もいるみたいですが
そんなんだったら生まれた頃からみんな鬱だと思う。
嬉しくても楽しくても悲しくても悔しくても流れるものは流れる。
・・・ま、「我慢する涙」ってのもまたドラマなのかもしれない
今日も新しく買った(DLした)アルバムを聴きながら
いろいろ思いを寄せているとまたつーっと伝ってくるものがあって
こうハートを直撃しちゃうメロディーってのは
罪作りなもんだなぁなんて思いながらも
出会いに心から感謝してたりします
マニュアル通りにはいかないからこそ、その時々のタイミングで
出会ったものを素直に受け入れて感じてみる。
最近はこの感覚が何気に結構鍛えられてきてるなぁと感じてます。

でも、よくよく考えてみたら本を読んで泣く
っていう経験は2~3冊くらいしか記憶にない。
そういうのもあまり本を読まないから。
私の中でプライオリティが低いのは、何も本が嫌いという訳ではなく
その他のメディアで満ち足りているからだと思うんですが
やっぱりどこかに「本は敷居が高い」という潜在意識があったと思います。
単語が解らないし、言い回しが解らない、何が言いたいの?
までなかなか辿り着けない。
だからネットって便利だと思うんです。
解らない単語があったら別ウィンドウで意味を調べながら読み進められる。
言い回しが解らなかったら、検索して、いろんな使い方を知って
その意味を深められる。
そして何よりも短くて簡潔。
一冊分ずっと下までスクロールする、とかあり得ないし
限られたフレームの中にどれだけの分量で気持ちを収めるか
自分にとっての適切な目安が解ればそこで相性が解る
なる程、私がこれだけネットの恩恵を受けられるのも
ページをいくつも飛び回っている間に
そういった学習を無意識の中でしていたからなのかもしれない。
だからWEBページの文章を読んで泣く、っていうのもあるんです。
モニターの前で知らない誰かが書いた文字を読んで泣く。
傍からみたら「鬱ぎみ」なのかどうか知りませんが
デジタルな世界の中にも確かに心を打つものはある
と、やはりこれも無意識で感じていたように思います。



そんな本の「敷居の高さ」を正面からばっさりと切り捨てて
湧き出てくるそのままの言葉で書かれた
糸井重里さんの本「インターネット的」を読みました。
一気に読めるのにその一行毎に何か脳内できらめきがいくつも走るような
不思議な経験をさせて頂きました。
これが約10年前に書かれてた事がすごいと思うし
糸井さんのサイト「ほぼ日」がそれからずっと続いているのもすごいと思う。
ほぼ日刊イトイ新聞
ちなみに初めて知ったのは4~5年前ハラマキを購入した時。
忙しすぎてサイトをじっくりと動き回る事ができてなかったのが悔やまれますが
久しぶりに訪れましたらやっぱり頬を伝うものがありました。
今は健康手帳とか気になってます。。。

本当は「書評」を書こうと思って
引用部分とか解説の仕方とか考えながら読もうとしてたんですが
そうすると全然進まなくって
やっぱりロジカルシンキングの能力は足りないみたいです
なのでいつも通り我流で読んで飲み込んで
指が打つまま、そのまま文章にしてみております。
私もいつかこの「我流」を一冊の本にまとめてみたいなぁ
という目標ができました



Philip Wesley - "Wings To Freedom"




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書籍にもインディーズの波が来ているように感じる

教科書までiPadのようなIT端末化されるかもしれない
議論がされている昨今、ネットの普及に関して
従来通り専門家や好きな人だけの話というのではなく
万人発信はどんどん浸透してくるように感じます。
例えば最初にビデオデッキに触ったのは小学生の時
今となってはVHSさえ過去の遺物となってしまいそうですが
その当時は録画したものを好きな時に好きな場所で見れる
っていうのは本当にものすごいエンタメ革命だった訳で
ビデオ(録画映像)がないのが想像できない世代がいるのを考えると
それを当たり前として育ってきた私達世代と
それ自体を楽しみとする習慣がない古い世代とがいつもいて
そういうのは普遍的なのかもしれないなぁと思います
教科書のIT化が当たり前となれば
ポチポチと小さい端末を動かしているのを理解できないようになるのが
きっと私達周辺以前世代なのかもしれない。
それくらい情報社会の変革を感じております。

↓その大きな潮流を感じたのが昨日みつけたこのサイト
Amazon著者セントラル

↓NIKKEI Web版より
アマゾンのサイト、著者自身が情報発信 略歴から主要作品まで

大手の具体的な行動を知る事で
現実として実感できたのも事実ですが
なぜか真新しさを感じない。率直な印象でいうと
書籍もインディーズ化してきてるのか
というところでした。
音楽の世界では大分前からインディーズは発展してきてて
メジャーアーティストであってもその中で
いったりきたりを選んで活動しているように思います
ちなみにインディーズって何?
私の勝手な感覚だけで言うと
自費もしくは個人レーベル(それなりの資本)で
商品を作って独自に販売してく方法
気が付いた時にはそちらを好んで聴く方々向けに
インディーズ内での流通網が確立されていた感じがします。
なのでショップに並ぶ商品も両流通からの商品で二層化している訳です。
(でもこれも大分前の感覚なので今は違うと思います。)
そういった形での商品がたぶん書籍でもいっぱい出てくる気配。
リリースの数自体が多くなってくると
それだけ小粒の傾向を書籍でも感じてますが
疑問はどうして音楽ではなく書籍なんだ?と。
恐らく(というか絶対)ブログの影響だと思います。
音楽は誰でもできるって訳じゃないけど、手紙なら誰でも書ける

思えばこの年始はブログを書籍化!なんて適当に発してましたが
本当にやっちゃってもいいような雰囲気かもしれない、なんて感じてるんで
とりあえずひとつのものとしてまとめる事に取り組んでみてます
秋はもう少し先な感じですが
もう今年残すところ4ヶ月・・・。一年って早いなぁ。


↓ビデオデッキ



↓iPadのソフトキーボードで日本語入力






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今回のネットについて考えた事のまとめと読んだ本

どんな個人でも発信する事が可能になり
無意識の内にその中にもぐりこんでいましたが
その源流をみると論を交える知識共有の為に始まったようです。
ただそれだけを見ると正直難しくて全く入り込める余地がない
努力すれば解るのかもしれないけど
たぶん現代人は時間の消費争奪戦争の中に組み込まれて
その度に情報に翻弄され
何かを極めるというのが難しくなっているのかなぁと思います。
少なくとも私の場合はそうみたい
それを無理に庶民レベルまで落とそうとするから
揚げ足取りや単なるネタ探しの
暇つぶしに終始してしまっているのかとも思いました。
それ用に提供されたネタだったら私もたまにはのりたい
またそれも一部の悪意に翻弄された善意の間違いである場合もあると思う。

私の場合ごく自然に感情の発散場所、自分との葛藤の場所として
当たり前にネットは存在していました。
一応身近に感じるニュースを
自分のものとして発する事にこだわってるつもりです
生活とは余り接点がない、遠くの出来事は
それを身近に感じている私以外の人がきっと発している。
これにもし価値が出てくるのなら
それは継続の力なのかなぁと思います。
瞬発的に移り変わる飽きっぽい世界だからこそ
変わらずにそこにあり続ける事が珍しいと思うし
これからはそういった事もきっと増えてくると思います。
(だからきっとバックアップは必須かも。まだ手が付けられてないけど)
それがきっと「情報」を「人」化させるのかなぁなんて漠然と思いました。

目的の為にリアルと繋がる事はあっても
結果としてリアルと繋がる事はこれからだと思う
ネットを薄っぺらいままだけにとどまらせないのは
そういった生きていく時の経過を、ネット上で残す事で「人」が生き
命を大事にする気持ちが継承されていく事だと思う。
ネットという広い大地の片田舎でリフォームを繰り返しながら
その建築風景をこれからも中継していきます

-----------------------------------------------.
↓今回のエントリ
 ・図書館で本を読み始めて自分の書き方を考えた
 ・ネットで発信する専門性を考える~まずは身近なところから~
 ・気持ちを表現していくというアプローチ
 ・ネット利用は「体験」があってこそ
 で参考にさせて頂いた著作に深く感謝致します。
 書評が書けなかったので、いろいろシャッフルして
 また自分なりにアウトプットしました。

 ・・・読書は脳にも体にも重労働みたいです
 (寝不足になって疲労がたまるし、頭はパンクするし) 
 またいつか機会があったら読書の世界に没頭してみたいと思います。


フラット革命 [単行本]
佐々木 俊尚 (著)


ウェブ人間退化論―「社会のIT化」は「サル化」への道!? [単行本]
正高 信男 (著)


全思考 (幻冬舎文庫) [文庫]
北野 武 (著)


ウェブ社会の思想―“遍在する私”をどう生きるか (NHKブックス) [単行本]
鈴木 謙介 (著)


デジタルネイティブ―次代を変える若者たちの肖像 (生活人新書) [単行本]
三村 忠史 (著), 倉又 俊夫 (著), NHK「デジタルネイティブ」取材班 (著)

ネット利用は「体験」があってこそ

息子とかまきりを捕まえまして
それを家に帰って調べようと
図書館でかまきりの本を借りてきました。
最初それを言った時の息子の反応は
「お家でパソコン」といったもの。
検索すればすぐに答えが出るのを
無意識の内に教えていた事に気が付き、どきっとしました。

ネットが何か、という事を解っていて利用しているなら
検索はただのツールであって、真偽を決めるのは自分自身だと
解った上で調べますが
魔法の箱のように何でも出てくると
潜在的に思い込まされて育ってしまったのでは非常に困る。
今回図書館に足を運ぶきっかけを掴む事ができなかったら
何を教えているのか解らないまま
自分自身が暴走していた気もしております。
夏休みがあってよかった

本であろうと、ネットであろうと
その真偽は大した差はないと思ってますが
有料である分どこかしら信頼性を感じるのは否めない。
何を信じるかは本人次第。だけど今回私が重視したのは
「本で調べる」という過程を体験させた事
家を出て、景色を超えながら辿り着いた図書館で
職員さんと顔を合わせて挨拶をし、手渡しで本のやりとりをする。
その一連の流れがあって初めて得られる自分が欲しい知識
それが当たり前の前提であれば
ネットの利用性は限りなく広がっていると思いますが
この過程を省いた上での短絡的な体得感は
どうも違和感を感じてしまいます。
そう簡単に解った気になれる程人生は甘くない。
私も人生半ばの未熟者ではあるんですが。
知識欲はなくならないと信じた上での熱い主張です。

もしデジタルだけで完結される世界があるとするならば
特定の場合における代替リアルじゃないかと思います。
小さい子供をもった親が集中的に育児をしなくてはいけない場合の期間限定のリアル。
病の為にどうしても現実世界では実現できない場合の臨場感のあるリアル。
時間や地理的にどうしても叶えられない遠く離れた場所に対しての必要性のあるリアル。
等々・・・
本来のネットの便利さはそこでもって
初めて「心」が生きて本当のリアルから歓迎されるんではないか、と。

今現在の世相を語る時、高齢者と若者軸で語られる事が多いですが
今後の事を考えると大人と子供の枠で考えられないだろうか、と思います。
そうした時の次世代へのメッセージ。
リアルでどうにかできるなら、まずは動いて欲しい
情報を得たらならそれを体験して、真実を確かめに行って欲しい
(身体的に危険がない程度に・・・
私自身、家でかちゃかちゃしてるのがとても大好きなので
尽きない誘惑を追い払うのに必死ではあるんですが。。。

次回はまとめです。ではでは。


↓全長68cmのカマキリってでか!!!



↓なぜに紐なし?スニーカーも新しく。



↓ネコの散歩

気持ちを表現していくというアプローチ

感情をあえて言葉で表したくなるもどかしさ
伝えるにはどうやっても足りないのだけど
私が自分を客観的に見て思うのは無駄が多いなぁ、と。
体調の感覚にだって、周りの状況の変化にだって
何にでもそんな「余計な」感情がついてくる。
それをあえて言葉にしようとすると、それこそ蛇足。
非常に合理的でない文字が並ぶ事になる。
例えばそれをもし情報として
インデックス化しようとするとするならば
いくつかの数字に置き換えられて、
決められたルールに従って区分される。
「人」が「情報」に変わる瞬間。
翻訳ツールの精度があがらないのもそのせいだと思うけど
そうするとやはり「余計な」ものをはぎ落とした
ロジカルな情報だけがネットには存在すべき、となるのかもしれない。
誤解されないように。

一時期あまりの情報量におっかなびっくりしておりましたが
立ち止まって見渡すといろんな人がいるだけなのだ
という事に気が付きました
ロジック以外でも発していいのだと解った時の安堵感。
誰かと気持ちを共有できるかもしれない、という期待があったからこそ
今の私があるのかもしれません。心のセーフティーネット
公園の散歩道には自転車用のコース、
ランナー用のコース、徒歩用のコースがあり
たまにベンチも置かれている場合もあります
私は徒歩用のコースで気ままにゆっくり歩き
歩きながら感情を記録する
あまりにも痛みが酷い時はベンチを探すけど。
肝心なのはすごくゆっくりだけど止まらない
という事だと思っています。

あえて理想を言うならば「情報」を「人」化する方がいい
たまに負の感情を出しても人間だから当たり前。
怒るし、悲しむし、泣くし、悔しむ
それを出してもまた乗り越えればいいだけで何も隠す事ない。
新しい明日はいつでもやってきて
今以上の可能性に満ちているかもしれない。
乗り越える努力さえしていれば。
逆に誰だってそういう時もある、と
「共感して応援する心」を受け入れる事ができるようになれば
初めて「情報」が「人」になるのかなぁと思います。

ただこれが理想で終わってしまうのは
「人」化するには現状では個々の確立が大変難しい。
人が負の要素を感じた時、自分を守ろうと警戒する
本能的な反応が一番大きいとしても
更なる便利さを探してより速く走ろうとする人も
命のセーフティーネットとしてゆっくり歩こうとしている人も
同じ土俵に上げて数字で管理してしまうのがネットの世界。
どんな人生だって皆同じ、といったような冷めた感覚。
人生の凸凹が世界に繋がっていけばいいのに
真っ直ぐな平面はこの凸凹をどこまでも均一化していこうとする。
時にさも凸凹に見えるかのように。
所詮皆同じ、となってしまえば「死」さえも数字の消去くらいの意味しかない。
ネットへの入り口が限りなく広がる事で
それを無意識に植えつけられてしまって出口が見えなくなってしまうのが
一般的な感覚ではないだろうか、と思っています。
豊かな心の起伏の大切さというのを
難病を患う、という現状を体験して初めて解る現実もわびしいですが
やはり私が今できる事は
生きる為のツールとして発し続ける事なのかなぁ、と。
ネットを最大利用しようとするならば
薄っぺらい人間になっちゃいけない。
万人に開かれた世界ってのはそういうアプローチもアリって事で

次回は「体験と知識」についてです。
ではでは。


↓人の形をしたおもちゃ。
 両手、両足の先端部を連結させ楽しい立体
 造形を作り上げる事の出来る商品です・・・との事。








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こちら→「そのうち、きっと。」

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